3日目

───

さて、成功か失敗かで言えば失敗だ。

葬儀のていで行ったスピーチから出ていく人たちをワタシが見ていないわけがない。

信用というモノがきっとなくなってしまったのだろうね。

テセウスの船という、現代でも通用し続ける陳腐な思考実験がある。

構成する要素を置換していった結果、果たしてそれは元のもの同一なのかという、アレだ。

これを単一化して、1を別の1に入れ替えるとしたら。

1にさらに虚像の1を足すことを見栄や虚飾と定義するのであれば。

1つの本当の過去を1つの捏造した過去にすり替えたら、それは真になるのではないか。

なによりも。そもそも誰も知らない以上他人から見れば空白だった過去、それに事実と紛うほどの虚実を差し込むことは……偽りとして扱われるのか?

偽りと証明できないのであれば、喉から手が出るほどに皆が欲しがった本物なのではないか?

嘘という行為は騙し続けるのであれば本当で在り続けるはずだ。

あの4人は情報が乏しかったそれだけで"最初の犠牲者"という評価で片付けられたままでいけないのか。

それは、あまりにも残酷すぎる・・・・・

死者を冒涜しているのは分かっている。普通の社会ならそれはモラルや倫理にも反することだから。

でも────いや、まあいい。

死者葬儀堂の時点では証明する手段はないが、彼らは違和感を感じ取ったのだろう。

ワタシも嘘が下手になったものだ。

いや、そもそもあの時を除いて、元からワタシは嘘が下手だったのかもな。

おそらく、悪評は伝播する。ワタシを知らない者にも名は知れ渡る。悪い意味でね。

考えよう。

65名全員と仲良くなることで自衛する手段は、思ったより多い血の気や関係の成長の高速化、それにワタシ自体の悪評を考えると無理だ。

65名を率いることができそうなリーダーシップの持ち主を仕立て上げるのも、無理だ。共犯者になってくれる指導者を得たとしても、ワタシのプロモーションでは指導者の偉大さを脚色しても信用されないだろう。

別のプランを練らねばならない。夢の続きを見れないのは、残念に他ならないが。

まあ、もうある程度浮かんではいる。

問題は、誰が誰のことを悲しんで、誰が悲しむ顔を見たくないのかだ。

結局ワタシは生存者61名全員と話して関係性を推察するしかない。

そのためには、個室から出て人と会うしかないな、うん。

さて今日はどのように資源を変換しようか。

思うに、資源というのは対価ではなく権利なのではないかと思う。

食料と水で食いつなぐ権利。意識を張るために警戒する権利。治療する権利。襲う権利。

ワタシは命が惜しい。だから1日目は無駄に使ってしまった。

しかし、葬儀で反感を買ってそうな以上資源を無駄にしてでも意識を張る必要が出てきた。

果たして、本当にこんなに使って効果はあるものなのだろうか。

次の停電後に五体満足であればいいが。