『ロビー』
色褪せたようなあまり広くないロビー。
無人の受付カウンターとモニター、いくらかのソファがある。
開いた大扉の向こうは、中庭が見える。
『記録[
「僕は強くも正しくもないよ」
「……さっきだって、無駄に他人につっかかってしまったしね」
「強いて言えば……そうだな。多分、恵まれていたんだと思う」
目を細めて、先日まで当たり前のように享受していた日常を想う。
「正しくある事が美徳な世界で生きて、そのままバカを見ることなく過ごせた」
「もしも僕がそんな世界で生きていなかったのなら……きっとナイフを手に取ってたんだろうな」
「ここは多分、弱い事が許されない世界だから……皆のやり方が正解なんだろうね」
生乾きの髪を手で梳か
「……ご立派でございますね、綿積雫様。貴方様のお考えはきっと、正しく美しいものでございましょう。多くの方が恐怖や焦りで失くしたものを、貴方様はまだ持ってらっしゃる。」
眩しげなものを見るように、少し目を細めた。
「……素晴らしいことでございます。皆一様に、貴方様のように在れたら……よかったのでしょうね。強さとは、決して凶器を握り振るう心に有るものであらず、と。」
「えと、」「戻りまし、」「……」
……多分、真面目なお話をしてるんだと思ったから。
水滴を頭髪からこぼしたまま、黙って適当なソファに座った。
「ハハ……気を強く、か。ありがとうね」
「ただ、僕はね……」
「誰かを踏みにじって行くことしかできない強さなら、僕は要らない」
「多分、皆忘れてしまうんだ、武器を手に取ったその時から。弱かったかつての自分を」
「だったら僕は……武器も強さも要らない」
「心を麻痺させずに、全力で痛みにのたうちまわりながら生きたい」
「……それが生きるって事だと思うんだ」
饒舌。ということは、だ。
何か隠さないといけない時。物量で押し切ってしまうような甲胃とも取れた。
一応、医者である以上、心理学も多少は知識を持っていないと、患者や家族を嗜めるのに相当時間がかかる。
あの饒舌さ。何か裏がありそうで。
「……嫌になるね、全く。…本当、ただの善意だけなら、いいんだけれどね…。」
最初から、感じてしまっていたらしい違和感が、大きくなっているような気がした。
「……綿積雫様は、大丈夫でございますか?およそ、そんな筈はないとわたくしも理解できておりますが……それでも。」
無闇に近づくことはせず、
ただその場に立ち止まり、声だけかける。
大丈夫なはずがない。大丈夫なわけがない。
「どうか気を……強く持ってくださいましね。」
薄っぺらな慰めの言葉だけでも。
掛けさせてほしくて。
「いえ。お気になさらず。…まあ、こう言う訳で医者と言うのは常に反感を買いながら生きていますから。あなたのように素直に疑問を聞いてくるだけなのは、実際ありがたいですから。」
冷たいと。人の心はないのかと言われ続けるのが医者だ。時には、こちらの選択で見捨てることを提示しなければならない時だって、あった。
…さて、正直。
あの男のことを信頼しきれないのは、意外と皆同じなのかもしれない。
何せ、口があまりにも饒舌すぎる。
「…………。」
背中が見えなくなった頃合い。黙りこくってしまった。
心情的には賛同したいはずなのだが、話を聞けば聞く程にどうにも信頼しきれない。
既に不和の種をまかれてしまったからだろうか、心の底から賛同できない自分が嫌になる。
「…………寒いな」
貰ったテーブルクロスを強く握りしめて身体に押し当てる。
「……そう、でございますか。お医者様とはそれほど過酷なご職業なのでしょうね。こちらこそ申し訳ございません、わざわざ、貴方様に思い返させるようなことを言って。」
軽く頭を下げた。
その在り方を悪だとは思わない。
一人一人に心を割いて歩くべきだとは……
自分もまた、思えなかったから。
「……葬儀の、お誘い。……なんとも……重苦しい話題ですこと……。」
「ま、気をつけて。舞台があるバンケットの方がやり用はあるかもだが…今は変わった人が居たから。気をつけて。」
意味深な発言を彼に投げかけて、再び彼女はソファに身を委ねた。
ロビーに何となくたどり着いた。
騒がしくなっているなと思い、ふと目を上げると
初めて見るモニター
沢山の名前と顔、そして生存と、
死亡の文字
「・・・」
「…そうだね。すまない。」
生きている人間はまだどうしようもあるが…死人に口は無い。それならば、どうしようもないからね。
「……あぁ。…一人一人に情を割いていたら、心がいくらあっても足りないぐらいのものでね。今ぐらいは在り方を変えられればよかったんだが。
………どうにも、長年染みついた色は簡単には抜けてくれないらしい。」
色とりどりの彼は、こんなこと最初で最後に、とは言うものの。
刃を向ける人間を止めることは、残念ながら叶わないだろう。
そう言う、諦めの色も、少し見え
「……では、私めバンケットでやるべきかロビーでやるべきか判断するために一度バンケットを見て、人のいそうな食堂を見てまいります。
もし水浴びや息抜きにプールや廊下に赴くことがあれば、"コンテキストという人間が犠牲者の友人として弔いを行いたいらしい"とお伝えくださいませ。それでは」
「……綾川遥希様は、特に何かなさるおつもりは……ないのでございましょうか?」
止めはしない、とは言っているものの
手を貸そう、とは言っていないような気がして。
「貴方様を批判するつもりはもちろんわたくしめにはございません、ですが……その在りようは貴方様が……お医者様であるから、なのでしょうか。」
ほんの少しだけ、寂しげに呟いた。
「……」
「そうで……ございますね!彼らに訴えて、蘇生薬の代金を募れば、私めも友人として救われます
どういう人物であったかを4人述べてから、やってみましょう!」
「まあ、気をつけて。…葬儀屋の人は…まあ、受け入れてくれるんじゃないか?」
知らんけど…。さっきお世話になった時は物腰柔らかそうな人だったし、多分大丈夫だろうと。
そして、この女はいつものようにソファへと身を投げ出すのだった。
何をし出すかと思えば、葬儀か。
声には出さなかったが、内心そんなことを思い。
肯定も否定も示さなかった。とりわけ関心がないとも言える。
頭の片隅に置いておくくらいはするが。
「ええ…!反感が起きるのも理解しております……!(具体的には死者の冒涜として葬儀屋あたりから受けると思っている)
ですが…ッ(ここらへんで目元を素手で拭う)このまま不信感がこの建物に蔓延るのは、宜しくない。犠牲者の方々もそんな不信感に飲まれて忘れられてしまう!
このような弔いは今回が最初で最後であるようにしなければなりません……引き留めずにいていただき、ありがとうございます」
「…副作用がわからないのに使うのも危険だと思うが…やるのであればまあ、止めはしないよ。…」
死人に口無し。ただ、本当に生き返って何もないとは限らない。
その命は、有限か、無限か。賭けの先に見える景色は幸か不幸か。
それは、まだ誰にもわからないだろう。
「……うん。いいんじゃないかな」
「ただ、できるならそれに加えてもう一つ……」
「この“蘇生薬”ってヤツを試してみるのはどうかな?」
「正直、本当に効果があるのか怪しいんだけれども……」
「皆を集めて話をした後に、一回でいいから資源を出し合って試して見るのもいいと思うんだ」
「……少しばかり、不躾な事を申しますが……凶刃を振るった方はきっと一人ではないのでしょう。まるで伝染していくように……多くの方が既にナイフを握ってらっしゃるのかも、と思う方が自然かと思います。」
未だ痛みを発する自身の傷跡に指を這わす。
「声をかけたところで……お集まりになってくださるのでしょうか……弔いたいと思ってくださる方なんて、他に……」
この状況で、大きなことをして反感を持たない者がいないとは限らない。
何がしたいんだと言うものもいるかもしれない。
ただ…彼は多分、ただ本当に弔いたいのか。はたまた、人を集めたいのか。
そのどちらかだろう。
正直、私はこの外での交友関係を知らない訳だし、何もかも決めつけるのは良くない。
「生憎だけど…私は全面的な協力はできない。ただ…言う機会があれば言っておこう。」
私から出せる答えは、これぐらいだった。
「………それは…まあ、人によっては大事かもね。ただ…反感を買うかもしれないよ。それでもする覚悟があるなら…。私はこれ以上は引き留めないさ。何、大事な儀に変わりはないからね。」
彼の話を最後まで聞いて。
医者として。患者の死には、付きものだったもの。
「…死んだ後に忘れられることは……怖いからな。」
ただ、どこでも話さなかった人も居るだろう。そんな人のことは…名前だけ覚えておく他ない。