Void
なにもない
『記録[
──天使はそうやって歩いていく。
どこまでも、染まった姿で歩いていく。
使命と約束と、絡んで編まれて。
そうやって、歩いていく。
虚無を歩く。
虚無を歩く。
長く歩く。
有るように歩く。
意味がなく、意味がなく。
何にもない。
なんだい、急に奮い立ったようにして。
泣きべそしかかけんくせ。
主人公にでもなったつもりかい。
ここは虚無だよ。
何にも紡がれはしないし。
これ以降出られない。
ご臨終。魂もどこにもいけないさ。
どうにもならん。
くせに、張り切っちゃってまあ。
愚かしい愚図の天使は、どこまでも愚かだった。
いつもいつも空回り。
こんなところでもそうだった。
「…」
「がんばる」
頑張らないと。しっかりしないと。
やらないと。
私はいるんだから。
我慢比べ、根気比べなら得意だ。
泣いたりしない。頑張るって決めた。
やらなきゃいけない。
戻らないと。
がんばる。
がんばる。
頑張る…
「…」
あの子が待ってるから、会いに行かなきゃならなかった。
時間がかかっても、上に戻らないと。
あそこにどれだけ魂が溜まってるのだろうか。
あの後、死人は増えてないだろうか。
いいえ、落ちる前から、もう何人も。
死んだ後の魂が、迷子になっているのだろうか。
…
なら、やっぱり戻らなきゃいけなかった。
どうしても。
どうしても。
やることがいっぱいだった。
何より会いたい子がいるから。
「……」
「織様の言葉と、墨を届けないと」
「生きていたこと伝えないと」
何もない。意味もない。何もできない。
「…」
「ここだとお腹も空かないし、喉も渇かない…」
「いつもの状態でいられるから」
「上に戻れたなら…上の人たちよりは体力が残ってるはず」
「今も消耗してるだろうし」
何にもない。意味もない。上を知らない。
「……」
「繭ちゃん……」
涙を生んでいる。汚い。見っともない。
思いだけが有る。果たせなきゃ意味がない。
「…………」
──虚無に溶け込んだ、ような気がした。
後に残っている証拠は、多分自分だけなのだろう。
「…………」
翼を動かすのを辞め、降り立つ動きをした。
上を見上げた。何もない。
俯いた。何もない。
正面見た。何もない。
なにも、ない。
私だけが有る。
夜草織はおわった
「………」
力が抜けたから、握る手にグッと力を込めた。
連れて行く。連れて行く。
染み付いたものも、言葉も、あなたの生きたこと全部連れて行く。
「……いいえ。お仕事ですから」
「……」
「お疲れ様でした」
「おやすみなさい」
「おやすみ…ね、」
墨染めの空。いつか夜が明ける。
朝焼けがくる。晴れ空がくる。
どうかあなたの足で。
自由に走っていけますように。
暴くとなって消えゆく文字列も、確実になるまでいくらでも待とう。
口が上手くないなら尚更。
あなたの言葉をそのまま伝えるから。
「…はい。ごめんねと、ありがとう」
「…」
翼が虚無を切る。
翼が虚無を切る。
飛んでるのか、ただバタバタ動かすだけか。
時折態勢が崩れるけど。
離さん。
「…」
「ええ、生きていました。当羽がちゃんと見届けました」
あなたは人間でした。
「──伝えましょう。あなたの伝えたい人たちへ」
「そうだな〜……」
言葉は浮かぶと言っても、ポコポコと泡のように浮かんでは消える様な、取り留めのないもの。
あんまり、口も上手い訳では無いから。
「長くても、良くないから……」
「先ずは皆に、目一杯のごめんねとありがとうは伝えて欲しいのと……」
「後は……」
眠気に抗う。
もう、後悔を残さない為に。
「私はここで、生きられたよ。」
巫女でも、黒いシミでもなく、一人の人間として。
人間として生きた事を伝えて欲しい、と。
一つ手を取りましょう。
踊る前の準備みたいに。
地面らしきものを蹴ったところで。
ヒールの音は響かない。
ただ、あなたの手を取って。
蕩けてるならどこか引っ掴んででも。
蹴った、そのヒールの音は、もし地面があったなら──
ホール、制圧するほど強く。
手を、衣服を、翼を染めても。
灰羽は虚無を切る。
上だか下だかわからずとも。
上を目指すようにした。
雨の部屋、目指すようにした。
それは確かなはためきだった。
天使が連れ行く。
手が汚れるのも、羽が汚れるのも気にしない。
羽が汚れる。ずっと嫌だったことだけど。
それは自分の存在意義が揺れることだから。
これは違う。ただ色が染まるだけ。
あなたに奉仕している。あなたの役に立っている。
それならいい。
無価値な事を嫌う。選び取った事を好む。
価値のある事だ。これは。
──翼を広げた。→
自分は決して優しいわけではなく、天使として人に奉仕するのが仕事なだけだった。
だって目の前に困ってる人がいたら。
それは手伝ってあげたいでしょう。
それが天使にとっての当たり前で。
羽の色を濁らせないための唯一の方法。
尽くしたがり。
でも結局、酷い目に遭わなきゃ、なんだって手を伸ばしたかった。
あなたの手を見つめた。墨だった。
「……」
「…………」
「──承諾いたしました」
「あなたの墨を」
「…はい。とても大変なことです」
「とても、とても大変なこと」
「だからどの魂も重いのだと…当羽は思います」
その通りで、あなたは生きていた。
行き着く間もなく生きている。
本当に瞬くような自由でも。
あなたの選び取ったことは、あなたにとっての幸福で、安堵した。
「…ちょっと嫌いだった人にも」
「…」
「言葉は浮かぶものですね。いろんな言葉が…」
「…当羽が記憶して、抜け出した時にお伝えいたしましょうか」
差し込む光もないくせに。口にした。
「天使を黒くしちゃうのは、とっても悪い事してる気がするけど、ごめんね!」
それは許して欲しいかなって。
眠気と、倦怠感みたいな感覚に耐えながら。
手を、差し出していた。
「……して欲しい事か〜」
少し静かだなと思ったら、何か考えていそうな天使。
きっと、繭の巫女も、天使の優しさに惹かれたのかなって。
「…じゃあ、ちょっとだけ悪いけど。」
手を、差し出した。
既に黒く溶け出していて、液体に塗れ、辛うじて手の形を成している。
「最初に……私の墨、付いて乾いたら殆ど落ちないから気を付けて……」
「でも……ちょっとだけで良いの。私の墨、持って行って。」
「それが、して欲しい事。
……貴方が飛べるところまで、私を連れて行って。」
「生きるって、大変だねぇ……」
今更、それを知った。
言葉に反して、案外声音は嫌そうでは無かった。
だって、辛くても、苦しくても、
やっぱり今は自由だったから。
生きているから。
「…うん。」
「お話ね……結構色んな人にしたかった。欲張りだけど。」
「コンテキストさん、綾川さん、猫ちゃん、カッパの子に、作家のおじさん…まゆこさんだって。」
「それから……ちょっと嫌いだった人達にもさ。」
「出口は探し続けますけど」
「…」
「──静かになる前に」
「してほしいことがありましたらお申し付け下さいね」
「…」
「暖かくしていたいとか」
「ただ、放っておいて、でもいい」
「…」
「言いにくいお願いでも構いません」
一時の夢を。カーテンコールを。
何もないならそれでもいい。
ご自由に。ご自由に。
あなたの言葉が聞きたい。
人につくす、天使として。
翼があるのに今すぐ真っ先に運んでいけない。
迷惑をかけた人たちに伝えたかった言葉はなんなのだろう。
ごめんなさい、なのか。
それ以外だろうか。
眉を下げてうじうじとかんがえて。
あなたのこえに意識を引き戻された。
「……」
「……」
目を閉じる前の言葉。
それじゃあまるで“おわる”みたいだった。
まだです、とは言い難かった。
あなたは、時間との戦いがあるから。
「……」→
はぁい、とへたり込んだのに合わせて。
天使も一緒に座り込む。
「…」
墨が広がっている。
時の経過を感じた。
間に合わない流れを感じた。
あなたもそう。
あの子も、そう、かな、どうか。
「…ですねえ」
「後悔ないように働いても、生きてれば、選んでれば次々浮かぶものですから」
「それをより良く、長い道のりの中で修正…していくものなのでしょう…けれど」
「…」
「…お話し、したかったですよね」→
「……アンさん。」
天使に、声を掛ける。
「もしも、私が静かになっちゃったら……え~と……」
「その…自由にして良いからね。」
「もっと頑張って、出口を探す、とか。色々。」
少し、目を閉じた……
このまま、眠ってしまいそうで……
このまま、虚無に身を任せたくなる……
「……大丈夫…って、言いたいけど。」
「少し、休む……」
足を止めると、力が抜けたようにへたり込む。
「……後悔が無いように、って、やっぱり大変だね。」
「私も……迷惑掛けた人達に、最後にちょっとでもお話したかったんだけど。」
虚無の中では目立ち難いが、足下に墨が広がっている……もう余り、動けないかもしれない。
時計の針は動いていないのかもしれないが、
あなたが“有る”というのだから、あなたの中の時間は動いているのだろう。
腹は空かずとも。
染みついたものは。
「……」
黒シミが広がっている。かるく眉を下げながら。
「…」
「…おつらかったら、肩をかしますが…まずは」
「休みましょう」
疲れたという声を号令にして足を止めた。
お加減、悪いですか、と尋ねて。
この不思議な空間でも、タイムリミットは近付いていたのだろう。
黒に包まれていた少女の体は、更に黒くなっている。
「……。」
まだ、歩いている…
でも、そろそろ…
しんどい、かもな。
「……ちょっと、疲れたな。」
「……」
さて、パンチのポーズなど見ていた頃は平和だったか。
歩いて、歩いて、歩いた。
「………」
横のあなたをチラと見る。
大丈夫かな。大丈夫かな。
天使は元気だった。