『ロビー』
色褪せたようなあまり広くないロビー。
無人の受付カウンターとモニター、いくらかのソファがある。
開いた大扉の向こうは、中庭が見える。
『記録[
「これ以上ないくらい親切施して回ってるのに」
「失礼しちゃうねえ。むくれて来ちゃうわ」
頬に掌を添え態とらしく膨らませた。
花の刺繍あしわれた黒色の手袋が白い肌に冴える。
「それはあたしの化粧が上手なだけでしょ」
「流行りの頬紅に水白粉塗ってるんだから」
「協調性は大切さ、こういう時は特にね」
「どんな時でも自然体で過ごせるのもまた強さではあるんだけどね……」
隣から聞こえた悪意のない疑問の問いかけに肩をすくめる。
「……寝起きで僕の目が霞んでいるのでなければなんだが、どう見てもキミは女性であって金槌や釘なんて縁もゆかりもなさそうな恰好なんだけれどね」
「…………ま、何だっていいんだけれども」
「うん?それってあたしが悪いの?」
「物分りの悪い子達のが悪くない?」
きょと、と瞬きをして群青の瞳が揺れる。
悪感情を滲ませるには澱み一つない瞳。
深く美しい青が疑問符浮かべてた。
「違うよお、成り上がったの」
「船大工の倅に産まれてねえ、昔は捩り鉢巻なんてしちゃって」
「金槌握って釘打って、汗に血だって流して大変だったんだから」
倅とは口にするものの、
逆さから見たっても女なのは明白で。
じゃ、実際何なのかって曖昧でありました。
「綿積雫様はやはり聡明でいらっしゃる。口から出すべき言葉を選べば避けられるものがございましょう。」
「わたくしめは自然体である方々の言動も大変好ましく思ってはおりますが。」
「誤解や怒りを招きかねない言動は慎むべき、という事さ」
「閉鎖空間での不和は伝播しやすいものだからね」
きょとんとしながら首を傾げるあなたを見て、どう伝えるか逡巡した後、やっぱりいいやと思考を投げる。
起きて早々考え疲れた。
「随分と整った身なりをしているとは思っていたけど、やはり良いところのお嬢様って感じかな?」
「かなり個性的な面子がそろってそうだし、7日では飽きなさそうだねぇ……」
「薄惚けた様な待合が色付くのは割かし早いのかも」
「広間で大勢が雑魚寝する訳でもあるまいし、」
「怯えてたってしょうがないのにね」
口を開く度に一々嫌味を吐かなければ気が済まないのか。
逐一毒を盛って、盛った傍から撒いて散らすから性が悪い。
「そ、つゆって呼んでね」
「……おっと、いけない。
これは叱られてしまいますかねえ……。」
静かにため息をこぼして去っていた姿を見送りつつ、ぼんやりとつぶやいた。
「遊んであげてるだけじゃない」
「ぴりぴりとか、訳分かんない」
微塵も怒気を滲ませては居ないものですから、
不思議そうにまた首を傾げ、
名前の綴り耳にしたらふうんとか息を漏らす。
「7日の間に金貨を遣り繰りしないといけないのねえ」
「まるで見窄らしい庶民みたい。さもしい気になるね」
「あたし、すぐ帰って紅茶と一緒にビスケット食べたいわ」
「一定数この状況にひどく怯えてらっしゃる方や、怯え惑う方がいらっしゃいました。この状況にて落ち着いて、穏やかでいられる方は……実際そう多くはないのかもしれません。」
ふう、と息を吐く。
これは然程戸惑った様子はない。
「亞麻露様で御座いますね、お教えいただき感謝いたします。」
「決して忘れないようしっかりと記憶させていただきます。」
広くないロビーの歓談の端を通り過ぎる。
モニターを一瞥。受付が無人である事を確認し、出口の扉が開かない事も確かめる。
かつて煌びやかであったであろう、大きな扉はびくともしない。
暫時、佇んだ後。
「………………」
溜め息をひとつ吐き、踵を返した。
釣られ笑いをするので殊更妙な様子なのでした。
そもそもこの娘自体が不躾極まりないのだけど。
いっそ完璧なまでに棚上げをしている。
「シーソーゲエムがお好きなの?」
「あたし、ちぃとも好かないわ」
液晶にべたべたと触れる指先を僅かずらし、
とん、とん、と軽い様な音がこだまする。
「だけど、利口な子は好きよ」
「じゃあ、ここ、……亞麻露とあるでしょう?」
「これ、あたしの名前だから。確と脳味噌に刻まなきゃ駄目よ」
「おやおや、死亡だなんて穏やかじゃないね」
「とはいえ楽観できそうにもないな。7日も経てば迎えが来るとは言うものの……」
問答の合間、伸ばされた指の先をぼんやりと眺める。
ふと、自分の名前をそのつま先がなぞったのを見て。
「ちなみに僕の名前は“ワタツミ シズク”。綴りは丁度君が指さした先さ」
「今みたいな緊急事態ではピリピリするのもわかるけど、協力し合った方がお互い得だと思うんだがね」
「おやまあ、よろしいのですか本心を口にしても」
「……頼まれた事では御座いますがこれはわたくしめが皆様のことを知りたいと動いていたから渡された役ですので、貴方様に興味がこれっぽっちもない、だなんてことはありませんよ。」
くすくす、何がおかしいのか楽しげに笑って。
「ですが、無作法であるとは仰る通り。僭越ながら名乗らせていただきますね。」
「わたくしめはユウガオと申します、此度は大変失礼いたしました。」
点滅を繰り返す液晶に指を伸ばす。
退屈凌ぎしたいだけなのかも。
「夜更けの内に起きるのが都合良いなら止めやしないけど」
「生存があるのなら死亡もあるのかしら?」
「ま、それが寧ろ、妥当ってものだろうね」
ひい、ふう、みい、並ぶ名前を両手で数え切れないので数えるのを止めた。
妙なお願いをされて小首を傾げた。
差し詰め、お願いのお願いって所かしらん。
兎も角、そういうことならしょうがないなあ。
「なんであたしから教えてあげなくちゃいけないの?」
「尋ねるんなら先に名乗らないと。無作法じゃない?」
上機嫌な顔付きのままに不躾であると指さした。
その、コン何とかとかいう奴がどれだけ偉いんだろ。
「おまけに、人伝ってのが気に障る」
「お前が知りたいなら教えてあげる」
「お前が興味を持たないのって有り得ないから」
「徹夜に良い記憶はないんだけどねぇ……」
そう言い返しながら前を通り過ぎる振袖を目で追いかけると、大きな液晶が目に入る。
自分の名前や居場所も記されていることに気がつき、なんとなく合点がいった。
「なるほど、人員把握がどうとか言っていたのはそういう訳か」
「……しかしまあ、なんとも不穏だね。人様の名前の横に“生存”だなんて記されるのは」
「目覚める時間には少々ズレがあるようですね。他の方も少々お寝坊さんな方はいらっしゃいましたから。」
「ところで振袖のお嬢さん、貴方のお名前を聞いてもよろしいでしょうか?現在わたくしめは皆様のお名前を伺うようコンテキスト様よりお願いされておりますゆえ……」
挨拶は軽く顎を引くだけの会釈に留めた。
背筋は糸で吊り上げられているかの様にすらりと伸びている。
派手な振袖に亜麻色の髪、おまけに傲岸不遜な態度をした女であった。
「こんな夜をただ寝て過ごしちゃいけない」
「直ぐ様肥えて牛になってしまうからね」
茶目っ気たっぷりにくすくす笑み、
大勢の名前が陳列された液晶まで寄ってく。
女の用事はこれだったんでしょう。
「はあ、そんなら寝直すか、丸一日起きとくしかないね」
「不眠症というよりも昼夜逆転といった方が正しいかな?」
「僕は今しがた起床したばかりでね、いかんせんどういう状況に置かれてるのか掴みあぐねている状態さ」
「やれやれ、寝起きの頭と心臓に悪い展開だよ……まったく」
「おや、まあ、コンテキスト様の御心配はやはり必要だったのでしょうか……皆様眠ってしまわれたと思いましたがちらほらと、人が訪れるだなんて。」
「はじめまして、傘をお持ちのお方。わたくしめはただここで、のんびりと時を過ごしているだけでございます。」
「ご謙遜を。何はともあれ学ぶ道に進まれたのでございましょう、であれば褒められて然るべきものですよ。」
「おや、ありがとうございます。名をつけてくれた親に感謝せねばなりませんね。」
漸く人気も失せた頃合いと踏んでか、畳んだ番傘に袖揺らし、
愉快そうに笑みを湛えた女が寂れた待合に足を運ぶ。
人気が多いのは好かない。喧しいのも勿論そう。
「あら、まあ」
「眠れない夜を過ごしているのね」
「それか不眠症?それとも夢遊病?」
どっちだって良いんだけど、とか付け加えて。
特段興味もない話題に割って入って来た。
「そう面と向かって勤勉といわれるとどうも……いやはやむず痒いというべきか」
「僕としても勤勉な方という自覚はあるんだけどもね、大学生という生き物はそこまで手放しで褒められるような生態をしていないというか……」
「……。話が逸れたね」
「ほほうユウガオさんって言うんだ、気品のあるお名前だね」
「綿積雫様、お教えいただき感謝いたします。
わたくしめはユウガオと申します、どうぞよろしくお願い致しますね。」
頼まれた通り名簿を参照する。
お名前は此処にある様だ。
「大学生でいらっしゃるのですね、それはそれは……勤勉な方は大変素晴らしい、きっと多くのことをご存じでらっしゃるのでしょう。」
「ハハ、なんだか元気そうなひとだったな」
「思っているよりも深刻な状況じゃなさそうかも?」
「ま、閉じ込められている以上楽観はできないかな……」
「いってらっしゃいませ、どうぞお気をつけて」
「……では、留守番を頼まれてしまいましたのでわたくしめもその役を担いましょう。はじめましてのお方、よろしければお名前をお教えいただけますでしょうか?」
「おや、まあ、その様に見えましたかお恥ずかしい……単純にわたくしめは皆様のことに興味があり、お話を聞かせていただきたいだけなのですが……」
ころころと笑って。
「ですがその役を頼みたい、とおっしゃるのであればお受け致しましょう。コンテキスト様も常々此処で名簿を睨んではいられないでしょうからね。」
「ああ!私めは行かなければ!
起きた方も、ユウガオ様もどうか整理くださいませ!それでは~!」
夜草へ忙しいかのようについていくだろう。まるで提案や説明をしたものの、返答を聞いていないようだった。