『ロビー』
色褪せたようなあまり広くないロビー。
無人の受付カウンターとモニター、いくらかのソファがある。
開いた大扉の向こうは、中庭が見える。
『記録[
『資源倉庫への追加資源を配置しました』
「……私も。大好き。」
小さく言えば。綾川も、静かに、眠りに落ちて行くんだろう。
場所なんか、どうでもいい。痛くなってもいい。
明日は、どんな天気であったって、色んなこと、するんだから。
やれやれ
人が少なくなってきたのがここに来て幸をなすとは
何が起こるか分からないものですね。
「…………そうしましょう」
「……2人共、大好きですよ」
少し照れくさそうに、それだけ。
ここに来る前じゃ、言いたくても言えなかったから。
…今はまあ、いいか。
もう少し、ここで泣いちゃおう。
「………全部、明日に、しよ。…ね。」
そう言って。笑って。
繋いだ手は、離さないように。
今までずっと耳障りだった、この雨の音が。
何故だか今では、今だけは。
酷く愛おしく聞こえるのです。
おかあさんとてをつないで。
かたっぽのてはみーちゃんをぎゅ〜っとして。
かえりのおうたをうたうんだ。
あしたてんきになぁれ──。
……おやすみなさい。
「ん"」
「…………」
その声で、ふと現実に戻って。
そういえば…まだ人、いるん、だった。
……大層な…何とと言うか、何と言うか…を披露してしまった気がして。
「……ど、どう、しよ…」
今更、じんわり恥ずかしくなってきました。
抱き寄せられて、また、こっちも、2人を抱き寄せて。
あなたのそんな言葉が、聞けてよかった。
顔なんかもう、あらゆる液体なんかでぐちゃぐちゃで。
私達のしたことが無駄じゃなかったと言ってくれて、ありがとう。
「……やりたいこと、何からしよう、ね…。」
そう言う綾川の瞼は、すっかり腫れてしまって。
雨は、私も嫌いだった。
でも、今の雨はちょっと違って。
2人の優しい音以外でも、雨の優しい音だけが、耳にそっと、触ってきている。
……人というのは、こんなにも暖かいものでしたっけ
2人とも泣いていたはずなのに、今はこんなにも幸せそうで
「あの時はほんと、びっくりしたんですから」
でも、あれがあったこそ。
今こうして居れるわけで
雨は降る
雨は止んで、虹は出るのやら
雨だって言うのに、猫は嫌いにはなれませんでした
みんなで、楽しく生きていける世界線もあったのでしょうか。
今となっちゃ、どうでもいいですが
ギュッと2人を抱き寄せて。
ただ、お互いの感触を、息遣いを、涙の温もりを感じ取るのでした。
「今なら言えるっ……!こうして……目を覚まして話せてよかった……!」
「ちゃんと痛がれる自分で終われてよかったんだっ…………!」
雨が降っている。
今までで1番優しい雨。
最後もきっと、このくらい。
暖かい雨で溶け合えるんだろうな。
ああ、ずぅっとこうしていられれば良いのにな。
猫は、2人の話を聞いて
2人が同じようなことを思っているのを聞いて
「……なーんだ、それじゃあ
猫のわがままだったんですか」
クスッと、笑ってから。
「最後に、沢山話して
やり残したことして」
「みんな一緒に、せーので行きましょう」
最後に見せた笑みは
諦めや、壊れた訳でもなく
やけに幸せそうで、満たされたような
そんな 優しい笑顔 でした。
「うん、…うん…。」
しよう、やろう。まだ、まだ時間は、猶予はまだ、あるはずだから。
出来ることを、やりたいことを、目一杯やってからでも。何も、遅くは無いはずだから。
貴女を抱く腕が。少し強くなってから、緩まった。
「…………いいよ」
「一緒に……グスッ…………いよう、ね」
抱きつかれていた腕を優しく包んで、そっと撫でた。
痛いのが飛んでくように。
願いが叶いますように。
「…………もし、さ」
「もし全部終わる事にするなら……最後に一回、皆で楽しく過ごそうよ」
「……いっぱい話して、少ないけどご飯も食べて、撫でて、抱きついて、遊んで、それから…………せーので。一緒に、行きたい、な」
そんな、ささやかな最後の願い。
綾川は。
ただ、2人の、対話を、話を聞いて。
酷く安心した自分がいた。
…本当に、とても嫌になった。
最後まで、何とも卑怯で。ビビリで。
それでいて、生きることを諦めた、そのはずだったのに。
「……私も、さ。酷いこと言う、けど。帰れたって、死ぬだけなんだ…。」
それぐらいなら。2人と、ここで命を、散らしたい。
「……出来るならこのまま、そばにいて、欲しい…。」
ここへきて初めて、湧き出てきた感情。
これは、綾川の初めてのわがまま、だった。
「猫は猫らしく、意地汚く生きているだけです」
なんでも食べて、どこへだって行って
自然の中で強く……
そして汚く、泥水を啜るような惨めさでも
猫は生きてきたのです。
「……でも、ダメだった時は。
貴女と、貴方達と、幕を閉じましょう」
「二人と一緒なら、猫もまだ、納得いきます」
そうだけいって、コテンと体重を預けるように。
「……そっか」
「猫ちゃんは強い子だね……」
「僕はもう……痛みに呻く声も…………出ないんだよ」
擦り切れて、か細くなった声で。
あなたに優しく語りかける、諦念の調べ。
医者は、無力感と、悔しさで、涙が止まらないでいて。
自分が薄着なのも、忘れていて。
でも、続く貴女の声は。
…とても、温かい声で。
それでいて、そこに続いた、猫さんの返事は。
力強くて。とても、信念があって。
それが、余計に、辛い。あなたの気持ちを、私は踏み躙ってしまうかもしれないのに。
「そんなに、言ってくれたの。…2人が、初めてだよ…。」
「……猫は、ここから帰ったところで
待つ人も、大切な人もみんな死んでいます」
「……特別でないから、悲しみも辛い過去もないからって
それがなんなんですか」
「猫は貴方達に会って、貴方達が
大切な人に、『特別な人』になってしまいましたから」
「貴方達だけでも、生きて欲しいんです」
猫が諦めないのは、自分のためではありません。
自分のことなんて、どうだっていいほどです。
「ね。もういいと思うんだ、猫ちゃん」
「僕はもう、ここでいいんだ」
「君に……君たちに巡り会えた事実だけで、もう」
「最悪はとっくに過ぎ去ってたんだ」
「僕の人生は……おそらく、きっと。なんの特別も無い恵まれたものだった」
「この場所にいる他の皆よりも……哀しみも苦しみも背負っちゃいないんだ」
「だから……こんな場所で幕を閉じるのも」
「…………悪くないなって思えるんだ」
「強がりじゃないよ……」
貴女の優しい、語りを聞いて。
思い出。それは、どうしようもなく、温かいもので。
結局涙は止まらないまま、ただ、2人のことを、見ていた。
「……ただいま、です」
それだけを、2人へ伝えてから。
その語りを耳に入れていて。
『みーちゃん』のことを聞いて
小さな白猫。
本来なら、この猫もそうであったはずだから
「……。」
「……………………。」
『……おかえり、なさい』
誰に。
何に。
どこに向けてすらかも定かではない。
この一瞬だけは、きっと十数年前の自分とリンクしたように思えて。
あぁ。
おかえりなさい。みーちゃん。
「思い出したんだ……昔のこと……」
ぽつぽつと。
語り出す。
「……初めは僕が見つけたんだ」
「ガードレールの下で鳴いてた、小さな白猫だった」
「父さんと母さんと一緒にお世話して……元気になるまで家にいて……」
「結局、僕のアレルギーが判明してからは……親戚の家で預かる事になったみたいだけど」
「……なんで、忘れていたんだろうね」
それはきっと、昨日と同じ。
優しい忘却だったのだろう。
昨日よりもずっと穏やかで。温かみのある。
「………おかえり」
小さな声で、返事がありました。まだ、涙が止まらなくて。
拭って、拭ってみるけど、やはりダメで。
みっともないな、と。
「……戻りましたー」
いつも通りしっぽを揺らして
いつも通りやってきて
いつも通り……、ソファへと移動して
なんてことのないように振舞っています。
それでも、隠せない違和感はありますが。
それを聴きながら、ただ、黙って、ぎゅっとして、撫でて。
その、繰り返し。
何も、言えることがない。
何も、出来ることも、ない。
色んな気持ちを、受け止めるぐらいしか、できないから。
「僕は……もういいんだ」
「あの子に……猫に、もう一度触れられた」
「それだけで救われてたんだっ」
「忘れてた事を思い出させて……」
「みーちゃんにっ……もう一度会わせてくれた……!」
「それだけで……それだけでも。」
「こんな地獄に来れて良かったって…………そう思えるんだ……!」
自分でも何を言ってるかわからないまま。
ただ、あの子への感謝だけが、この絶望の部屋の底に渦巻いていた。
廊下とロビーを繋ぐ位置
そこの物陰から、しっぽだけが出ていました。
……猫は、その話を聞いていました
そう、そうまで言われても。
猫はまだ、諦めきれていないようで。
……もはや、意地の領域かもしれません