『ロビー』
色褪せたようなあまり広くないロビー。
無人の受付カウンターとモニター、いくらかのソファがある。
開いた大扉の向こうは、中庭が見える。
『記録[
(きっと、この悪い死にかけは、吐いたりなんかでも笑ってた)
(だって、覚えててもらえるもんね)
(でも、やっぱり思うのだ)
(ごめんね、びっくりさせて)
(これはぜんぶ、いみのないこと)
「おかえりなさい」
お湯の一つでも浴びてきたのやら。
それとも場に居合わせたのか
マフラーが戻ってくれば、しっぽが嬉しそうに動いていて。少し濡れているのも気にせず、また首に巻き直すのでしょう。
「えへへっ……、ありがとうございますっ」
お礼はしっかり。
しずくさんも特に変わった様子は無さそうで。
「ごめん、遅くなっちゃった。戻ったよ。」
戻ってきた女は、水蒸気の匂いを纏って戻ってきた。
…服と白衣をひとまとめに手に持って、着ているのは黒のタンクトップと湿ったズボンのみ。
マフラーは…汚れていた周辺以外は濡れておらず、汚れも綺麗に取れているはずです。
寄っていって、お返ししましょう。
「……マフラー、無いとやっぱり少し寂しいですね」
できるだけすぐ戻ってくれると嬉しいんだけど、なんて。
それから、ソファ近くの床へ座り込んで。
しずくさんが起きてくるまで待機したり
時折、心配そうにしっぽが揺れたりするのでしょう。
「………ん、ありがと。じゃあ、洗ってくる。…すぐ戻るよ。」
どうやら、大切なものらしいのがわかったみたい。別で大切そうに預かって、そのままプールの方にそのまま行くでしょうか。
「…………」
そう言われて、少しだけ取るのを渋っていたようですが。
「じゃあ、お願いします」
手編みで作られたような、少しボロい赤いマフラー。
1箇所だけ、不自然なほつれがあるくらいで
至って普通。
それを貴方へ手渡すことでしょう。
「あ、それなら、…洗ってこようか?」
「えと…多分、誰かそばにいた方が、いいかも…いつ起きるか、わかんないし…」
さっきも、人が居ない時に起きたのだから、また居なかったら、辛いかな、と。
拒まなければ、貴方がマフラーを取るのを待っているかも。
「……猫も、マフラーが汚れちゃいました」
咄嗟に拭く時に使ったのでしょう。
衣服や毛は特に汚れてい無さそうですが。
停電の度、一波乱あって
それが積み重なって、『死』として表れて
そんな中でも良い人であろうと、優しい人であろうとして…………
いや、今はそんなことを思っても、ですか。
「洗いに行きましょっか……」
「…うん…」
虹色に輝いていたあの子が、居なくなってしまった、そんな、現実も。
きっと受け止めようと必死でいるのかもしれない。
さっき、猫さんに言われたことを、思い出していた。
どんな貴女でも、受け入れると。
なら、この結果の中で、どんな彼女になっても。私たちは、受け入れてあげるべき…なのか?と。
今は、考えても、彼女が起きるまでは、何もできない。
「…ちょっと、これ洗ってくるね。」
白衣と。服も汚れていることに、今更気が付いた。
「今は……、きっと
しずくさんの中でも、立ち向かおうとしている最中ですから」
「……猫たちはそれを、応援して、見守るしか……」
遺体を隠すのは猫も手伝ったのでしょう。
とはいえ、結局は立ち向かうしかないのでしょうけど
「……猫も……心配で、不安です……」
零したような、震えるような声。
「………どうしたら…。」
おそらく、今現時点でやれることといえば、これぐらいしかないでしょう。
医者は、彼女が、心が、大丈夫なのか。心配でたまらないようで。
ひとまず床の吐瀉物は、そのまま白衣を被せて吸わせてしまおう。
「……また、…また、苦しんだら…どう、しよう…。」
医者は、昨日の今日だったから、不安で仕方がないようで。
自分の服が汚れてしまっていることも、忘れていました。
できれば、口の中も洗ってあげたかったのですが…それは流石に、できず。
とりあえず、そこにあるテーブルクロスで、遺体を隠すぐらいしか、今はやれることが思い浮かびません。
「すみません……、助かります」
猫は看病らしい看病をしたことがありませんが
……こうして、寝込む人を見るのは……
初めてなんかじゃありませんでしたから。
「心因性のものでしょうか。
……多分、昨日の時点でも無理をしてたようですから」
大丈夫かは猫には分かりませんでしたが
今のところは息もしていますし、命に別状は無さそうですが……
「赤猫さん、ありがとう…あとはこれで拭くよ…。」
そう言って、濡らしてきた白衣を持って、慌てて戻ってきた。
汚れてしまった服や、髪なんかも拭おう。
丁寧に、濡れた部分で拭って、白衣の乾いたところでまた拭って。
「…………だい、じょうぶ、…かな………」
「っ、綾川さん……、頼みました」
自分よりも早く行動してくれたことに感謝を述べつつ
今はしずくさんの近くで寄り添うことにしました
無理もないでしょう。
猫たちはあの『死体』にある程度は慣れていますが
この人は何の変哲もないただの一般人ですから
ひとまず、汚れてしまったその顔を優しく拭いてあげる事くらいはしましょう。
「綿積さん!!」
慌てて、抱え上げる。…動かないならソファに、横向きに寝かせてしまおうか。
…あの体勢。意識がないとはいえ、まだ出ないとは、いえない。
医者は、そのまま白衣を脱いで、プールの方へ駆けていく。自分の服が汚れたって構わなかった。
「あ……」
「ハハ……ばれちゃった……な」
「ごめ、ん……また、気を使わせる、ね」
どしゃり。
薄まってほとんど胃液だけの吐瀉物に、顔から落ちる。
既に意識はないようで、荒い呼吸だけが聞こえるのみ。
PL一時離脱するので確定含め良きように……。
「…っ、綿積さんッ?!」
猫さんを先導に、タイミング良くも悪くも、戻ってきてしまった。
慌てて、起き上がった影に駆け寄る。どう見ても、様子がおかしい。
一体何が、と思ったけれど。
……よく考えてみれば、すぐにわかること、のはずで。
「綿積さ、ん…?」
そっと、視界を、周りが見えないように、貴女の前に、回った。
「戻りまし………………っ」
「しずくさん……!?」
廊下の方から、綾川さんと同じくらいのタイミングで猫が戻ってきましたが
目に入ったのは、その光景で。
吐瀉物があるのなら、それを避けつつ
そちらへ駆け寄るでしょう。
「…………掃除、しなきゃだな」
「皆が居る時でなくて良かったよ……ハハ…………」
グラグラと揺れる視界の中、懸命に証拠隠滅に取り掛かる。
しかし、それも長くは続かない。
現在の彼女は、厳密に言うのであれば。
正気を取り戻せているわけではない。
幼児退行によって守られていた精神が、綾川遥来の傷をトリガーに強制的に呼び起こしたにすぎない。
昨日の彼女の死者への淡白な感情も、呼び起こされた直後故に僅かに残っていたフィルターがあったからだ。
一晩明けて今、彼女は初めてそのままの現実を目にする。
「…………っ!?」
「う……」
「おぇ……ぇぁあ…………ぁ…?」
吐き気が止まらない。
昨日見た光景、裏切られた人の、あまり知らなかった人の、髪を撫でてあげたあの子の死が、フラッシュバックが延々と続く。
そう、本来ならここまで鈍感になれるはずがなかったのだ。
彼女はやさしいのだから。
「朝……にしては寝過ぎたような気がするな」
ソファに沈んだ身体の調子から、かなり長い間眠っていたように感じる。
「さて、これからどうし……よ、う……………?」
なんて事はない寝起きの一幕のはずだった。
「任された…」
と、いうことで、扉の開閉はお任せしちゃいましょう。
そうして、廊下の方を示されれば、共にそちらへ、歩いて行こう。
「ありがとう」
けほ、と一つ席をして、身体を持ち上げれば廊下の方を示す。
「扉も、ただの扉だから、私の握力じゃ回らないだけ」
あなたに連れられ移動したことでしょう。
「移動は綾川さんに任せました……」
猫は非力ですから……
「扉くらいは猫が開けておきます」
それくらいは非力な猫でもできるでしょうから。
「わかりました、手伝います。」
そう言ってささ〜と駆け寄って行って、手を回し、ヨイショと抱え上げた。
歩けないのは、ほんと、大変だし…。
「…ていうか、一体何を組み合わせ…あ、」
そういえば、と徐に内ポケットに手を突っ込んで。
取り出したのは、タバコとライター。
「…なるほど、嗜好品の所にライターが…。」
自分も、その嗜好品としてタバコを買った時にこのライターはついてきたものですから、あっても何ら不思議ではありません。
「ありがとう。簡単なことよ。私の部屋の扉を開けて欲しいだけ。
後のことはこちらで済ませるわ。移動も、肩を貸してくれたら嬉しいけど」
さっきからずっと這いまわってる。
「ほんとにお風呂だったんですか………………」
とはいえ、猫は水が嫌いですから……
……でも湯は捨てがたいものでもあり……
「……むむむ」
「猫で手伝えるのでしたら、手を貸します」
まぁ、おいおい決めることにしました。