『ロビー』
色褪せたようなあまり広くないロビー。
無人の受付カウンターとモニター、いくらかのソファがある。
開いた大扉の向こうは、中庭が見える。
『記録[
「触れられないと思っていたものが目の前にあるんだ、狂いもするさ」
「フフ、しっぽビンタ……フフフ……」
もうしばらくは帰ってこなさそう。
「腹くくって水で洗うしかないのかもしれません。
流水だから冷たいのであって、貯めておいて室温にするとかいう足掻き方も……」
「桶の類に心当たりはありませんが」
「猫好きって、怖い生き物ですね」
猫はそう理解しました。
好いてくれるのは嬉しいですが、狂気の沙汰ではないかと訝しんでいます。
「ほんと………温水………出てほしい……七日間………あと6日、かな………うう、…人権がなくなる………」
気にしすぎである。そんなこと言ってる場合でもなさそうなのに。
「嫌うほどではありませんが、まだ信用していないので」
いくら撫でさせたとはいえ、あくまで猫は猫です。
気まぐれで人を嫌いになり、好きになります
「………えぇ」
さすがに振り払って喜んでいるのを見れば、困惑の声を残しました。
「おやまあ、嫌われてしまったかな」
そうは言いながらも声色は喜の色で染まっている。
パッと手を離してそっと離れる。
ありがとうね、なんて言葉を残しながら。
「フフ…一度はやられたかったんだよね。しっぽでぺしっと振り払われるの」
「ハァ、臭いって毛穴の詰まりとかもあるからお湯でその詰まりを流せないのはかなり致命的だな………うう、加齢臭とかしないと…いいけど………」
ソファで項垂れ、しょんもりぼそぼそ。
「煙草、あんのなァ」
最後に吸ったのいつだっけ
強制禁煙のおかげか吸う気にはならない
「相変わらずだけどォ、平和だなァ〜〜。
このチョーシなら迎えまでよゆーじゃね」
「こんな状況だ、吸う側も吸われたくない側も我慢は毒さ」
「互いに棲み分けるのが1番だと僕は思うよ」
そう言いながら手元の猫耳をふにふに。
手触りと弾力に思わず笑みが溢れる。
「猫ちゃんに嫌われちゃうなら僕はこれからも吸わないかなぁ」
「動物って匂いには特段敏感だろうしね」
「シャワーあるのか!………冷たいのか………風邪引きそう………」
タオルとかあるのか?とか脱衣所は?とかいろいろ頭によぎったが………設備がある事が知れたのはでかい気がする。
頭にいれておこう………
「どうしても気になるなら、シャワーがあるそうですが」
アナウンスによると温水無しの冷水……らしいですけど。
ガス設備どうなってるんだ。点検しなさい
「ふ。喫煙者の方も多いみたいですね」
「昨日も3人ほど見かけました。俺は気にしない方なのでいいですが」
確かに気になる人はいるだろうしな。
配慮が出来る善性があるというのは良い事だ。
「いやあ、あの、ね、ほら、赤猫さんとかさ、匂いに敏感な子もいるわけだから………」
おろおろおろ。一本さっと吸って帰ってきただけだから他の人と比べれば比較的臭いはマシなのだろうと考える。
「あうう、ありがとう………」
ただこの女、煙草以外にも嫌な感じの鉄やら薬品の臭いが付いてしまっているからか……強い香りなんかが苦手な人には近寄らない決心がある。
「煙草の匂いは嫌いですが、そこまで気にしません」
猫なりの気遣いです。
猫が大事にするのは人の匂いより、その人の性格ですから。
「あ、おかえりーっす」
ネコチャンに嫌われてえーんになっていた者、スンッと戻った。
「遠慮するこたねーすよ、嫌なら自分から離れて行くでしょうし。
近付いてクセエ!!なんだ手前は!!!なんて輩居る訳ねーでしょ笑」
喫煙者に一定の理解を示す。
「つまるところ最高、といった心地だろうか」
少しばかり我に返ってつぶやきを止める。
にこ…と笑顔を湛えたまま、今度は無言で指を毛に絡めて手櫛のように髪を緩く梳かす。
手つきは優しいが、どこかおっかなびっくりと言ったようでもある。
10分ぐらい席をはずしてたのかも。10分ぐらいてまた戻って来ました。そーっと。なるべく人を避けるようにして………もとのソファへ。
臭いはというと、仄かに煙草の香りを纏っている感じの………なのかも。
そして………ごめんなさいって顔にかいてある。
「ん……」
正直何を小声で言ってるのかは理解できませんでしたが
まぁ多分なんか良いように言ってるんでしょう。
思っていたより優しく撫でてくれるので
猫も満更ではないようです。小さく「ゴロゴロ」と喉を鳴らしているかもしれません。
「フフ、触れるお許しは出た見たいだね」
「それじゃ失礼するよ」
ぺたりと倒された耳と耳の間に優しく指を潜り込ませる。
こころなしか人のそれよりも細くふわふわとした感触が心地よい。
「おぉ〜……これはこれは……」
「まったくもってマーヴェラスというかエレガントというか……生命の神秘だねこれはうん」
「というか平然とこれを享受している人間が妬ましく思えてならないな本当にええ全く本当に腹立たしい事この上ないぞいや嫉妬ではないよ嫉妬ではただちょーっとばかりこうい」