『中庭』
雨の降る中庭。
石造りの噴水と、石のレンガによる舗装がなされた中庭。
緑はなく、殺風景。手前の方だけ庇がある。
空は一段と暗く、雨も降り続け止む気配は無い。
扉があいている
『記録[
懐から、薄くなった紙を取り出します。
何度も書き直した、遺書。
言葉はもう充分に尽くしたはずなのに、
それでも残ってしまったもの。
雨に触れた瞬間文字はにじみ、
インクは血のように――いえ、血の色を知らない私にはただ、濃い影となって流れ落ちました。
紙はほどけ、
意味は解体され、
やがて何一つ読めない白に還っていく。
一歩、踏み出した。
靴底が溶ける感触はなく、
ただ存在が薄くなる感覚だけ
雨が肌に触れた。
熱も痛みもなく、優しいほどに静かだった。
真夜中、人々が寝静まる中。
背後に誰かがいる気配は、確かにありました。
けれど私は振り返りません。
それはもう、確認する必要のない事柄でしたから。
「……お見送りは、これで終わりですね」
声は雨に混じって、すぐに形を失う。
春の訪れに咲う花屋の姿はもう見えない。
共にいた銀の君も光のように残っていない。
「了解~。最も、オレは雨に打たれる気はないんだがね。」
「オレの名前まで好きに覚えられている、流石だ……
それじゃ御機嫌よう。人間クン。」
ひらひらと手を振り、これも、戻……
「ン~ …… オツカレさん。」
る前に、受けた治療分の言葉として、一言を残せば……
改めて去っていった。
「フジというものがよくわからんが、おまえ達の言う通り植物なのだな。」
見てみたいなーと思いつつ。
「おれは雨に打たれる予定はない。」
その内此処は溶けて壊れてしまうけど。
「……おれもそろそろ寝るとしよう。また明日。」
そう言ってバンケットに戻って行ったかもしれない。
「はい好きに覚えておきます」
「全知全能さんも、赤いフードさんもお元気で」
そういうと羽を揺らしながら、笑みを取り戻してこの場を去るのでしょう。
彼らなどまるでいなかったかのように、雨音が耳元で鳴り続いている。
「さて」
「…………戻りますか」
くるりと踵を返して、雨の降る中庭に背を向ける。
「みなさんも雨に打たれるときはどうぞお気をつけて」
「そーだねえ、色は植物由来で人間クンが名付けがち……。」
「ま…… 見た目がわからないなら好きな名前で認識しておけばいいさ。」
「悪くないって~。シンプルな人間クンもいるからオレみたいなのも映えるってワケさ。」
「まあまあ全知全能だとも…………」
「む。シンプルで悪かったな。」
王は外国の者なので色の名前など詳しく知らないのでした。ましてや紫など、高価なものだったのでね。
「そのような色の言葉があるとは知らなかった。やはり悪魔は全知全能なのだな。」
まぁ、でも知見を得られたことに喜んでいる。
「うむ。焔のように綺麗だろう。覚えておいて損はない。」
そう言って微笑むだろう。
「花の名前、……ばっかりなんてすよね、色って」
嫌だなぁ、とまた眉を下げて笑います。
あの花屋さんと私友達だったんですよ、なのに。
その色一つまともに分かってやることができなかったんです。
「見たかったなぁ」
「綺麗な言葉ですねぇ……」
「きっと、あなたのそのフードも素敵な色だったのでしょう」
まるで世界がそれだけのような、ほぼ色のないなかで生きてきました。
空が青いことだけは、わかりました。
土が茶色いことだけは、わかりました。
けど、流れる血が一体どんな色か、とうとう知れる日は来ませんでした。
「教えてくださってありがとうございます」
「折角なので死ぬまで覚えておくことにします」
嘘じゃないですよ。物覚え、いいほうなんで。
「……ン~…… シンプルな色はキングが答えてくれるだろーから……そして答えてるから……
藤色、菫色、紫陽花色、夜色……って所かね。」
「……紫、のように見える。」
己の視覚的な観点から述べる。
「美しく、宝石のような色だ。生命である赤と悲しみとこの雨のような青を混ぜた色。」
淡々と、自己流の表現で述べる。
悪魔からの呪文はいらなさそうだ。ここに来ては茶々を入れる余地はなし。
ゆっくり、ゆるり、少し低くなった位置に向けても手を振って…… 下ろしていた。
思ったよりもか細い声にそれはなったでしょうか。
手袋を外し、手首に巻いていたリボン、たった今消えた小さな生命がつけていたそれ。
「これって、何色ですか」
困ったように、眉を下げて。
それがわからないのは雫で世界がぼやけているからではありませんでした。
理由は単純だった。
これは仕事でも役割でもなく弔いですらない。
葬儀屋という名前を脱いだ場所で、なお残ってしまった感情だったから。
「……抜け駆け、ですねえ」
小さく呟いて、かすかに笑おうとしてできなかった。
いつも通りだと言い聞かせるように
胸の奥を整理しようとして――失敗する。
喉が、詰まった。
息が、少しだけ乱れる。
「……」
初めてだった。
ここに来てから、初めて。
嗚咽もなく、肩が揺れることもなく。
ただ雨と区別のつかない速さで、頬を伝って落ちるものがあった。
拭えないまま。
『資源倉庫への追加資源を配置しました』
スキップみたいな足取りで、外に向かう。
最後に、名残惜しげに振り返って。
あなた達に手を振った。
お世話になった悪魔さんにも。
依頼を受けてくれた探偵さんにも。
見送ってくれる、大事な友人にも。
それで、プールの方も見て、
明るく両手を、ぶんぶん振って。
「またね!」
もう一回、再会を願う言葉を唱えて。
溶ける時は、まるで花のようだった。
きれいな紫色が、くるくる、地に落ちて。
ラメ混じりの色彩が、ひらりと踊る。
雨混じりの中に、甘い香りが漂って。
面倒を見るのが生き甲斐だった。
お世話出来るのが幸せだった。
それを許してくれるのって、嬉しかったよ。
それだけで良かったんだ。
「うん!」
「どういたしまして」
「大好き、かごめさん」
帰れなくなっちゃってごめんね。
叶わなくなっても、今でも、
あなた達にまたねがしたいよ。
またねを言えないあなたの代わりに、
うんと願って祈って、期待をしよう。
最後にぎゅって抱き締めて。
それで、それから。
チミ人間クンは最後まで元気なものだなあ。いいね!
声が出ている分、むしろこれまでで一番元気に見えるかもだ。
ひらりひらり、ゆっくりと手を振って、悪魔は見送る。
「はいはい、わかりましたよ」
なんだか面倒を見られ過ぎた気もします。
頼んでもないし何かを言った覚えもないんですがね。
それでも私はあなたが帰れることを望んでいました。
叶わなくなった今でも、あなたが会いたい人にこれからも会えることを切に祈りましょう。
「こちらこそ」
「ありがとうございました、花歳さん」
最後に強く抱きしめ返してから。
あなたを見送るようにそっと、外へと離すのでしょう。
またね、って居合わせた人にも手を振っている。
いっぱいいっぱい、お世話になった人達。
「またね」
全然寂しくないよ。
こんな場所でも、したいことはぜぇんぶ出来て。
それでも、したいことがまだまだ、あるくらい。
まだまだ一緒にいたくて、名残惜しくて、寂しくて。
それってすっごく、幸せだった!
それでも、またがあるって、信じてる。
「いっぱいありがとう!」
雨音だけが残るだろう、この空間に。
今だけは、明るく弾む声音を置こう。
こんな場所でも仕事しちゃって。
職業病さんめ。
「ん」
「ちゃんとテディベアに見送ってもらうんだよ」
存分に、いっぱい、撫でて。労わって。
出来なくなってしまうこと、全部やっておく。
それで、最後に問いかけた。
「うん」
「……いっぱい、いっぱい、ありがとね」
「かごめさん」
あなたが気が抜けるのって、
たぶんぼくを見送ってくれた後。
それで、それが嬉しいからさ。
もう、どこを見ても、仕方ないなぁ、って感じだった。