『プール』
白いタイルと規則正しい大き目の窓で構成されている。
窓は割れ、崩れた天井からプールに雨が降り注いでいる。
雨と地味な噴水と、緑のない殺風景な中庭が見える。
水しか出ないシャワー室も一応ある。
『記録[
「私は無事ですよ、無事に見えるのなら」
「あちらはどうやら多数の方に狙われた方がいたようで」
怪我はないかぁ、と。
何処か感情の無い声で呟いた。
「ええ?
昨日の犯人知ってるんですか?
へ〜凄いですね」
なんとも簡素な感想を返した
「あはは……今日は安心して眠れそうです」
「あ。生きてる」
そうやって笑いかけたあと、入ってきた片翼の男にそう言って。
今のところはみんな大丈夫そうだなぁ、と。
「あ」
いつの間に!!
喋った事がない人がいて、あぁ~となった。
「…………」
「喋れないわけじゃないんだよ」
「喋っていいことより悪いことの方が多いって思ってるだけで…………」
内緒ね。しーってした。
「あ」
「葬儀屋さん」
「無事だった?」
嬉しげに声が跳ねる。
「あっち、やっぱり騒がしかった?」
「昨日の犯人なら知ってるけど……」
今日の犯人はわからないな。
声だけ弾んで、弾んで、萎れた。
犯人がわかるのって、嫌。だってそういう事だもの。
ひょこひょこ。
片翼の男は停電と同時にプールの扉を開いた。
何も武器を持っていなければ、
怪我もしていない。
「静かですね〜ここ」
ようにみえる。
「あらあらどうもう」
「……食堂が賑やかで怖くて怖くて」
「洗いやすそうじゃないですか」
「犯人とかいたら?来るかなって」
昨日が一番怖かった。
だから、もう後は、何があっても諦めだけだ。
「良かった~~~」
「安心した」
「ぼくも大丈夫だった。お互い良かったね」
やった~と両手を広げて無事ですのアピール。
真似っこかも。
再び明るくなるまで思わず息を潜めてしまう。
昨日の事もあったから。
……再び電気がついたところで、これは結局無傷であった。
ほ、と軽く息を吐く。
「…………」
「今日は、襲われなかったな」
「懲りたのかな」
諦めたような、嘲笑うような。
それよりも、もっと、悲しいような。
疲れた声が肩を竦めて。
「…………」
「お兄さん?」
目の前のあなたは無事だろうか、と。
そんな呼びかけだけ。
同じ仕草に、くすくすと笑って。
珍しく発される声は、鈴を転がしたような、性別の曖昧な声音だった。
「病院もお薬もないものね」
「気を付けてほしいな」
なんて、言っているうちに。
電気が消えて。
「…………」
この人物は、ただここにいた。
また倣うようにして、しー、と人差し指を立てる。
出会った時から声を聴いていなかったので、新鮮な気持ちだった。
「お陰で風邪を引かずに済みそうですよ。
こんなところで体調でも崩したら困りますからね」
……そんな話をしている内に、一度電気は消えたのだろう。
「慣れないとぶつけるよね」
「きっと、誰でもそうだよ」
「今大丈夫なら、良かった」
喋れないじゃなくて、喋らないだから。
喋りたくなったらお話が出来るの。
笑うあなたに笑い返して、人差し指を立てた。内緒ね。
「冷たいけど、浴びざるを得ないものね」
「機会になったなら良かった」
「あなたが凍えなくて」
冷たいものはどうしても冷たいけれど。
ちょっとでもマシなら、良かったもの。
丁寧に扱ってくれたので、返却する時もきっと問題がないね。
「はは……どうにも角の間合いに慣れてなくて。お恥ずかしい」
「今は大丈夫ですよ。長引かない痛みなだけ、マシですね」
初めて聞くはっきりとした声に少し目を大きくして。
にこり、と笑顔を向けた。
「俺の角が削れてても別にいいんですが……無事ならそれで」
「そろそろ俺もシャワーの浴び時かなと思っていたので。いい機会でした」
畳んだクロスはキチンと返却。
汚しても濡らしてもいないので、きっと大丈夫。
「………………」
きょろ、と周囲に人が少ないのを確認して。
口を開いた。
「……けっこう、痛い」
弁慶の泣き所は……結構痛そう……。
「傷は、ないよ」
「今は痛くない?」
壁は気にしないが、角は心配。
傷がないのを確認すれば良かったと頷いた。
「どういたしまして」
「ぼくもありがとう」
「受け取ってくれて嬉しかった」
テーブルクロスは返却の意思があるのか、
畳まれたそれはそっと抱えるだろう。
後でお返ししに行かないとね。
「……はい。皆さんお気を付けて」
去る人に軽く会釈をする。
寒気もまあまあマシになったので、綺麗に畳んでおいた。
「あるのとないのとじゃ違いますね、結構。助かりましたよ」
コミュニケーションを取ろうとする意志はある。
他者を排他的に見ている訳でもなく、
敵意などを向けられなければ程々に人懐っこい。
言葉だけを排しているかのような。
「…………」
ぺこりと一礼し、甘い煙たさを見送るだろう。
「多分何ともないと思うんですけどね……」
「壁にガリっと行きまして」
「意外と痛覚あるんですよ、これ。
弁慶の泣き所を打ったくらいの」
とはいえ傷も無く削れてもいない。
壁は……どうだろう。恐らく無事だ。
両手の丸。肯定的な意味だろう。
敵対的でないしコミュニケーション能力もありそうだから、尚更不思議だ。
まあ不愉快ではないしいいか、と思考を切り上げる。
「……そろそろ煙草吸って来ようかな」
どうせ襲われるなら、煙草を吸っていよう。
無事に(?)冷水シャワーからの帰還も見届けたことだし。
「じゃ〜ね、お二人さん」
踵を返す。羽織が揺れて、甘い煙たさが少し香った。
「………………」
警戒という言葉に、僅かに身を固くした。
「………………」
何も起こらない方がいい。
だけど、何も起こらないとは思えない。
アンビバレンスな感情に、そっと目を伏せる。
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「…………。」
長い溜息の後、ゆるく手を振ってその場を去るだろうか。
「……ゴホッ、……畜生……」
姿が見えなくなるかといったその刹那、小さな空咳と悪態が聞こえるかもしれない。
「……」
「…………?」
「…………あ〜」
ややあって、言いたいことを汲み取ったらしい。
「どっちが削れてもあり得そうなんだよな」
あ。出てきた。
おかえりなさいと言う代わりにとてとてと近寄って、
角を見上げている。
角に傷がないか確認しているらしい。
大丈夫? と言いたげに首を傾げた。
「慣れねぇ~……」
服の上に貰ったクロスを肩から被りながら出てきた。
エプロンはぱたぱたと乾かしながら。
「すみません。一人で戦っていました」
ちょいちょい角を触って確かめているので、
その推測は恐らく合っているのだろう。
喋らない生き物とは意志疎通がしづらい。
不思議に思われて当然かも。
向けられた視線に頷いて。
自分の頭を指差し、壁を指差し、首を傾げた。
削れたのって角かな、壁かな……の意。
改めてペコリされたので、反射でペコリ。
不思議な子だな、とは内心思っている。
「………」
「今の絶対角で削ってない?壁とか」
同意を求めるように子供を見た。