ホームE
ホームの一つ。
9・10番のりばがある。
今日も明日も明後日も。
何なら昨日も一昨日も1年前も。
ずっとずっと人は夫々生活しています。
色んな世界と社会に暮らしてきてます。
最後は揃って死んでいきます。
それがただの変化で。だから安心したくて。
間戸井戸を安心させたくて。今際に楽しくなりたくて。
信じたものがここにある。
それってハッピーエンドじゃ、ないですか?
ちょっと遅れたけど。
「──あ、来た」
音痴なアナウンスに顔をあげると、
ちょうど電車が止まりました。
この電車どこ行きか知ってます?
これは知ってます。
乗った事あるんで。
半ばスキップでもするかのような
軽い足取りでそれに乗り込みます。
他の乗客は知りません。
もしかしたら人の形をしていないのかもしれませんが。
何れは誰もそうなりますので。
こと日本では死後は焼かれ、灰になります。
放置されても腐り、土に還るでしょう。
その決定権の無さを誰かは哀れむかもしれないけど。
別にそれって箸が使えないからフォーク使いますって話で。
で、これはそれで良かったんですよ。全然。
あくまで彼の“井戸”なので。
借りたものは返さなきゃいけないし。
返したところで人は何れ死ぬんですが。
それもまた彼には関係が無くて。
そして彼も知っている事なので。
別に。
ドッペルゲンガーが見つめあって対消滅するみたいに刺激的な結末じゃなくて。
ほんの僅かだけど管によって繋がれ無理に用意されたこの猶予が彼に幾許の夢をまた見せるんでしょうが。
充分ここで夢を蓄えてもこれたので。
酸素マスクと一緒に吸い込めるでしょう。
どこかで自分が寄越した弁当は腐って良いし。
痕跡もこことゴミになってしまえば良いし。
謎は解いたからそんな縛りはもう無いし。
レイヤーの違うあの世は確かに存在するし。
レイヤーが変わるだけだから何も問題は無いし。
死はただの状態変化と装備品だし。
寄生されようがあっという間に逃げ切りだし。
ゴールテープもすぐ目の前だし。
不安、無いんだよな。
やり残した事とかも、特に無いし。
だって不安とか全部解決しましたもの。
不安が無いから未練も無い。
残すものが何にも無い。
端から持てないだろって言われたら、それはそうだったんですけど。
この分裂体に最終決定権は無かったんで。
さて。
どこかで誰かは後悔し、誰かは喜び。
また誰かは未来を憂い、誰かは終わりに安堵する。
そんな悲喜交々を乗せて電車が通っては、過ぎて。
また通っては、過ぎて。
この名前を呼んでいる。
もうすぐに使われなくなりそうな名前が。
彼等の主なき手がこの背を撫で、指を引き。
この足首を掴み、じいとこの顔を見つめている。
中で。
つかれましたので終わりとします。
巡廻。もうめぐることもありません。
「……」
「給与もうもらえるんだっけ」
「もらいに行くとするか」
「帰りは格安レストラン」
「明日は何食べようかな」
「…焼肉とか食いてえなあ……」
──業務を終了します。
入った中身、どうですか。
居心地、良さげですか。
入ったものすら、自分を溶かしてはくれないんですね。
虫にしてくれないんですね。
それともこのあとしてくれますか?
りんごを投げつけてくれますか?
はあ。
おしまいの話だった。
「………」
「つまんねえ」
変わってしまったあとはもはや興味がない。
怪奇現象も、受けた呪いも、正常も、入ったものも。
幽霊の世界に触れる。レイヤーを同じくして視点を持つ。
持ったらもう変化したってことでした。
それで、終わり。
ちょっと楽しんだら、もう次が欲しいんです。
飽きっぽいんじゃないです。
逃げられないから言っています。
こうはならないで欲しいなって人に思います。
でも、変わることがいいことなのも本当なんです。
理不尽なきっかけであるなら、尚に。
矛盾している。受け付けられない。
「………」
「もう変化なんてないんだろうな」
「わかってても約束だからするけど」
はぁ。
おめでとうございました。
お疲れ様でした。
終着駅はこちらとなります。
おつかれさまでした。
お疲れ様でした。
「…………」
「中に入られたらしいので、完全に“変わった”んでしょうね」
「よかった」
「これで安心だ」
でも、これ以上ももうないんだと思います。
これ以上の、変化も望めないのだと思います。
グレゴールのような毒虫には結局なれませんでした。
誰も処分はしてくれませんでした。
学生の時にあれを読んだ時、結局毒虫になりたくなかったのでしょう。
今はなりたくて仕方ないのです。
どこまでも追われているから、不条理になって。
他人に処分されてしまいたかった。
怪奇現象候でしょう、あれ。
でも、私は正常なものですから。
止まりたかったんです。
一回結びついた快楽は、俺を離してくれなかったのだと思う。
自分から変わって得たものは、あまりに望んでいたものばかりだった。
確かにより良くなった。あの寝室に引きこもっていたままでは得られない人生を得ていると未だ思う。
ただ、急かされている。
変化を。変身を。
停滞のない日々を。
あの豚に。ずっと見られて監視されている。
厳格なのはわかっている。
鏡に映るのも自分の顔だとわかっている。
多分、自分なんだと思う。
変わり続けなければならないのだと、精神まで侵されているが、それは自分が悪いことだった。
始めたのは自分だった。
仕事を辞めた。変わらなければならなかったから。
顔を少し弄った。変わらなければならなかったから。
変なバイトばかり引き受けた。変わらなければならなかったから。
バイト何回目。貯金はまだしっかりあるが。
変わらなければならないから。
強迫性。
──ふ、と気がついた時から、白豚がこちらを見ている。
「…………」
下品で、不快で、涎を垂らして、豚鼻を晒した。
それがこちらを見つめてきていた。
それが鏡の自分だった。
いつからかはちょっと覚えがないが。
未だ続いていた。
気持ち悪いそれはブヒブヒと獣臭い声を鳴らしながら。
やけに発達した牙を持つ。
お前は進め。
お前は進め。
すすめ。すすめ。すすめ。すすめ。すすめ。すすめ。すすめ。すすめ。
変化。変われ。変身しろ。
──でないと、こうなるぞ。
…
まあいいんですけどね。
自分から変わろうと思って初めて努力してそれが実となった時、すごい気持ち良かったので。
変身体験って気持ちいいんです。
変わらないと。変わらないと。変わらないと。
変わってあいつら見返してやる。
何も言わない家族の視線を変えてやる。
蛹を突き破るしかないだろ、そんなの。
この世界では毒虫になって、殺されるなんてフィクションなんだから。
とにかくあのときは死にたかった。
死にたかったけど死にたくなかった。
人並みのなんか、なんだっけ?なんか、が欲しかった。
思春期特有のそれだったんだろう。
俺は変わろうとした。
──勉強をたくさんします。
物覚えは良くて、全部うまくいきました。
いい高校に行って、いい大学に行けました。
──友人を作ります。
中学はうまくいきませんでしたが、その間に社交術を学びました。
高校デビューって言葉って冷笑染みてますが、そんな概念当時はありませんから。
高校ではなんだかんだ友人はいました。
大学も、困らない程度には馴染めました。
──いい会社に入りました。
就職活動もトントン拍子でうまくいきました。
自分に向いている、いい会社に入れたなと思
なのに頭でっかちな思春期候でしたので。
古典で高尚な文学を読むことで奴らとは違うというのを示したく。
この引きこもりにも意味があるのだと思って。
著作権の切れた名作を読もうと。
それで選んだのが件の作品でした。
読んだ後に吐き気がするようだったことを覚えています。
置かれたお荷物は処分されれば、周りはより良くなったようでした。
虫は置き換えのように思えました。
面倒。いらない。不必要。使えなくなれば。
なんとなくダブった。
──それとは特に関係はないと思うんですけどね。
結局、引きこもりはやめました。
なんか、バカらしくなったからです。
毒虫にしたのはお前たちだろう。
必要な部分だけ蜜を啜る。
でも、僕には必要な部分すらない。
でもまあ、ある日普通にインフルエンザに罹りまして。
強制的に休みになって。
熱と風邪でしんどい体だったんですけどね。
ずるっとベットから体を下ろして。
ガラガラの声で唸って。
冷たい水でも飲んだとき。
これって何て幸福なことなんだろうって思ってしまいました。
そこから、しばらく引き篭もりました。
不登校ってやつでした。と言ってもそんなに長いものではないんですけどね。
親は何にも言いませんでした。意外でした。
それは辛いならいかなくていいよ、ではなくて。
面倒だから関わりたくないの表れであることを知りました。
引き篭もりました。風呂に入らないから悪臭がしました。
ただベッドに不快に転がるばかりでした。
部屋の外に食事だけが置かれていて。
それを引き寄せる時か、手洗いに行く時以外はもう出ません。
引き篭もりました。
スマホの文字を見つめることだけが一日の全てです。
分厚いレンズ越しにブルーライトを眺めていました。
全然頭に中身は入らなかった。
──ある日、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目覚めると、ベットの上で巨大な毒虫になっているのに気づいた。
学生時代に読んだ小説の一片だ。
グレゴールには不条理を。
ザムザ家には透き通った未来を。
食べさせていた腐敗物のように。
毒虫を処分して、明るい未来へと旅立っていく。
──毒虫になれたらなあ、って昔思ってたんですよ。
いじめられてたんです。昔。
容姿も悪くて頭も悪くて背も低くて不快感のそれだったので、まあ当然の話でした。
暴力も悪口も何もかもされていて、思春期の繊細な心相応には傷ついて苦しんでいました。
家族は優しかったのですが、いじめは何にも知りません。
家族にこぼしても何ともならないと思春期は察したからです。解決案は現実的ではない。
当然ですよね。何ともならないじゃないですか。
学校に乗り込んでこいと?いやいや。
さらにいじめられるのがオチ。
だからずっと学校には通ってたんです。
──ま、もう駅を見回る必要もないんですけどね。
ぐるっと見て回るのが習慣染みていますし。
まるで惜しむかのように見て回るのも悪くないでしょうり
足跡をパタパタと鳴らしまして。
ついたのは一番縁のホームでした。
私行きの電車が相変わらずくるようでした。
私行きの電車の窓に、反射して私の顔が写ります。
確かに、私の顔でした。
確かに、見送りました。
「………………」
「今日で終わり」
ねぇ、お聞きになった?
今日と明日でバイトは終わりだそうよ。
寂しいわね。
こうしてみんなとお別れしちゃうもの。
寂しい?
いいえ、寂しくないわ。
私は最初から消えるために来たのよ。
私の好きなものなら出来るかなってちょっとは期待していたの。
結果はどうだって?
…出来そうだわ。
そうよ、出来るわよ。
私は正常よ。
みんなが異常なの。
ねぇ、そうよね?
私は正常よ。
あぁけど、
私はこれからどうしようかしらね。
【道具使用】
マシロ は 簡易トランシーバー を使った。
ざざ、ざざ……
【道具使用】
真白こころ は 通信用端末(貸出) を使った。
なにもでなかった。
……なんてね。お仕事してたら、またちょっと体調が悪化しただけです。多分ね。
眩暈が治まれば業務再開。
業務用懐中電灯片手に、巡回ルートを歩いて行った。
業務用懐中電灯の強い光によって生み出された己の影が、不自然に揺れる。
まるで、影そのものが自我を持っているかのような。否、実際そうかもしれないが。
影が揺れる度に、ひどい眩暈に襲われて。
影が、こちらの様子を窺っているような錯覚さえ覚える。
ヒトならざるそれは、大層楽しそうで。ヒトならざる証を煌かせては、わたしを嗤う。
わたしもそれになれたら、きっと幸せだろうと。そんなことを考え。
体調は幾分か良くはなったが、気付いたことがひとつ。
どうやら自分も、他の人が化け物に見えるようになってしまった。
加えて、奇妙な声も聞こえてくる。
あまり驚きはしなかった。とうとう自分もか、という気持ちはあったが。
……いずれにせよ、今更な話ではあった。
わたしはずっと、人に怯え続けているのですから。